紙と饗宴

─ポストモダンとニュー・アカデミズム

 

“The next best thing to saying a good thing yourself, is to quote one”.

Ralph Waldo Emerson

 

なんとなく、ポストモダン─モードとしての

 

Hypnotize

Call me up when you thought of somethin' new for me to do girl

Hypnotize

Call me up when you thought of somethin' new for me to do girl

 

How could your nothings be so sweet?

You left your love letters incomplete

 

Ooh, what the girl got nothing to do

Mmm, but she got that much for you

Ooh, what the girl been puttin' you through

Mmm, but she she got that much for you

Down on the beach and out in the bay

Ooh, but I heard the sirens say

You better believe her

Or you better leave her now or never

 

Hypnotize

How'd you come to be having fun with everyone but me girl?

Forgot to tell me

Something good

You, a word, knew you would

 

Hypnotize

How'd you come to be having fun with everyone but me girl?

How could your nothings be so sweet?

You left your love letters incomplete

 

Ooh, what the girl got nothing to do

Mmm, but she got that much for you

Ooh, what the girl been puttin' you through

Mmm, but she she got that much for you

Out on the street, on Avenue A

Ooh, but I heard the sirens say

You better believe her

Or you better leave her now or never

 

(In your eyes)

Wanna tell you that your heart keeps rockin' (in your eyes)

Wanna tell you that your heart keeps rockin' (in your eyes)

Wanna tell you that your heart keeps rockin' (in your eyes)

 

Hypnotize

I forget to believe in heaven when I look at you girl

GREEN: How could your nothings be so sweet?

You left your love letters incomplete

 

Ooh, what the girl got nothing to do

Mmm, but she got that much for you

Ooh, what the girl been puttin' you through

Mmm, but she she got that much for you

Ooh, what the girl got nothing to say

Mmm, but I love her brand new way

Out on the street, on Avenue A

Ooh, but I heard the sirens say

 

Oh yeah

And it's so hard to tell you

That I love you girl (ooh baby)

And it's so hard to tell you

That I love you girl (ooh baby)

And it's so hard to tell you

That I love you girl (ooh baby)

And it's so hard to tell you

That I love you girl (ooh baby)

And it's so hard to tell you

That I love you girl (ooh baby)

And it's so hard to tell you

That I love you girl (ooh baby)

(Scritti PolittiHypnotize”)

 

 「ポストモダン(Postmodern)」はファッショナブルで知的な雰囲気を漂わせる一九八〇年代のモードである。「ポストモダン」を冠した数多くの書籍が出版され、ポストモダンを論じることはカフェバーにおいて欠かせない態度である。こうした時代では、一九八六年から始まったテレビ・ドラマ『俺がハマーだ!(Sledge Hammer!)』と並ぶ名作と名高い映画『史上最悪のボートレース ウハウハザブーン(Up The Creek)(一九八四)が劇場未公開だったことも不思議ではない。

けれども、一九九〇年代に入ると、徐々に、ポストモダンを口にするのは、テクノ・ポップやボディー・コンシャスのスーツと同様、時代遅れと見なされるようになる。民衆がベルリンの壁を破壊したのをきっかけに、東西冷戦構造が崩壊し、多種多様なエスニック・グループが声を上げ始め、世界的に、自閉的で狭量な原理主義や極右勢力、新保守主義、暴力主義が台頭する。これらは一定の支持を獲得し、政権を担ったケースもあるものの、既存の政治・経済・文化に対する抗議にすぎない。実際の社会は非線形的あり、そういった反動的な発想では理解できないことはすぐに察しがつく。流行が終わって、逆に、ポストモダン的認識は人々の間に定着したのである。

 「ぼくは今でもわりに、ポストモダンが好きです」と告げる森毅は、『ゆきあたりばったり文学談義』において、ポストモダンについて次のように述べている。

 

 だからこれは悪で、これは善だというふうに、二元論的になるのはモダンの思想だと思うのです。モダンの思想では、悪をどんどん取り除いていって、一つのシステムを追求していくのがいい、そうすれば、どんどん進歩し、成長していくだろうという。でも今は全体のネットワーク的なものは何かということが問題なのです。ぼくはポストモダンというのを、そういう視点で見ているんです。

 

モダンの発想は、トム・クランシーの小説の世界のように、素朴で、雑な二項対立である。彼の小説の愛読者が合衆国の軍人に多いというのは合衆国の政治を考える際には参考になるだろう。これと逆に、ポストモダンが複雑さや多様さへの挑戦であるとすれば、それは非線形認識の発展とパラレルである。アイザック・ニュートンは万有引力の法則と運動方程式を使って、二体問題を鮮やかに解いている。それは太陽と一個の惑星をおのおの質店と見なし、この二点が万有引力によって相互作用する際の運動方程式の解を調べるものである。ところが、三つの任意の質量の天体が互いの間に働く引力によってどのような運動を示すのかを求めることを三体問題と呼ぶが、一般的に、解析的に解を導き出すのは不可能であり、コンピューターによる数値計算に頼らなければならない。これは典型的なカオスであって、本格的に研究され始めたのはパソコンが普及してからであり、ポストモダンの伝播とほぼ同時期である。細分化・専門化が進んだ現代において、ポストモダンは、非線形現象を扱うカオス学同様、それらを全体的に見直す視点を与え、多様性・複雑性との共生というわけだ。ポストモダンは、モダンがインディペンデントを志向したとすれば、パラサイトである。

ポストモダニズムは、一九五〇年代頃から、建築・文学・哲学などの領域に登場し始めている。モダニズムが世界各地を横断する同時代的かつ明確な方向性を持った運動であったのに対し、ポストモダニズムは拡散する現象である。モダニズムは芸術を単一な原理にまで純化し、統一的意味を表現する一元的体系の構築を目指していたけれども、ポストモダニズムは現代ではそうした絶対的な中心を見出すことは不可能である以上、意味や価値の多元性を主張する。そのため、過去との断絶を強調した前者と異なり、後者は進歩主義と技術革新の要求に反対し、歴史と伝統への回帰も示している。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、『ツァラトゥストゥラはかく語りき』の中で、精神が「ラクダ」から「ライオン」へと変わり、さらに「幼な子」に至るという三段の変化を遂げると語っているが、それぞれプレモダン、モダン、ポストモダンに対応するだろう。

 

わが兄弟たちよ! なんのために精神においてライオンが必要なのであろうか? 重荷を背負い、あまんじ畏敬する動物では、どうして十分でないのであろうか?

新しい価値を創造する、──それはライオンにもやはりできない。しかし新しい創造のための自由を手にいれること──これはライオンの力でなければできない。

自由を手にいれ、なすべしという義務にさえ、神聖な否定をあえてすること、わが兄弟たちよ、このためにはライオンが必要なのだ。

新しい価値を築くための権利を獲得すること──これは辛抱づよい、畏敬をむねとする精神にとっては、思いもよらぬ恐ろしい行為である。まことに、それはかれには強奪にもひとしく、それならば強奪を常とする猛獣のすることだ。

精神はかつては「汝なすべし」を自分の最も神聖なものとして愛した。いま精神はこの最も神聖なものも、妄想と恣意の産物にすぎぬと見ざるをえない。こうしてかれはその愛していたものからの自由を奪取するにいたる。この奪取のためにライオンが必要なのである。

しかし、わが兄弟たちよ、答えてごらん。ライオンでさえできないことが、どうして幼な子にできるのだろうか? どうして奪取するライオンが、さらに幼な子にならなければならないのだろうか?

幼な子は無垢である。忘却である。そして一つの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。

そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する。

 

よく知られている通り、イギリスの建築批評家チャールズ・ジェンクスは、『ポストモダニズムの建築言語』(一九七七)において、初めて、「ポストモダニズム(Postmodernism)」という概念を使う。彼はポストモダニズムの建築には少なくとも二つの意味、すなわち建築のレベルと生活のレベルを伝達するから、意味は多重であると主張する。ただ、これは、アメリカの建築家ロバート・ベンチューリの著書『建築の多様性と対立性』(一九六六)によって先取りされている。ポストモダニズムは、ル・コルビュジエことシャルル・エドゥアール・ジャンヌレ、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエといったモダニストの「機能主義(Functionalism)」に異議を申し立て、歴史的様式の遊戯的な引用と自由な折衷とを唱える。

これにはイノベーションの果たした役割が大きい。徐々に、巨大なガラスを製作する技術が確立され、その上、コンパクトで強力なエアコンが開発されて、寒冷地にも、砂漠にも、熱帯にも、気候をあまり配慮する必要がなくなる。こうした技術革新により、今までとは比較にならないほど、自由な建物を建てられるようになったのである。

さまざまな歴史的素材を自由に引用し、それをコラージュによって多元的に構成したポストモダニズム建築の代表例は、マイケル・グレーブスのポートランド・ビルディング(一九八二)、磯崎新のつくばセンタービル(一九八三)などがある。それらはギリシアやローマ、ゴシックといった歴史的様式が等価的に組み合わされている。

ポストモダニズムは、建築にとどまらず、反体系主義と多元的思考として、すぐに他の領域にも拡大される。近代哲学・文学は自然科学を理想として、「理性」や「自我」といった単一な原理から演繹的に導き出された体系の構築を試みてきたものの、一九世紀後半以降の産業革命の登場と共に社会が複雑化し、科学が専門分化していくにつれ、多様な知識を単一な体系に収納することは不可能であるだけでなく、生産的な認識活動を阻害するという哲学的反省が生まれる。体系に合致しないものは存在すべきではないとして排除されてしまうホロコーストに帰着する。この歴史を踏まえ、多くの文学者がポストモダン文学と呼ばれる作品を書き始める。ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、一九四四年、『伝奇集』において、古今東西の神話や神学や哲学を非体系的に引用する手法を用いて、円環的時間の宇宙、あるいは迷宮としての世界を描き出す。他にも、トマス・ピンチョンやウンベルト・エーコ、フリオ・コルタサル、マリオ・バルガス・リョサなどがポストモダニズムを具現化した作品を著わしている。さらに、映画『シー・デビル(She-Devil)(一九八九)に登場するメリー・フィッシャーもポストモダニズム的手法を取り入れた作家の一人に数えるべきだし、エドワード・ウッド・ジュニアの『エド・ウッドのハリウッドで成功する100の方法(Hollywood Rat Race)』がポストモダニズムの傑作であると付け加えなければならない。「もちろんエド・ウッドは映画だけでなく文章においてもとてつもなく個性的だった。ウッドの文章にはいくつか目立って異常な特徴がある。たとえばしつこく冗長なくりかえしと無意味な羅列。たぶんウッドは華麗な技巧と思っているのだろうが、どう見ても無意味なものである。あるいは一向に具体性を帯びないまま延々と続く文章。指示代名詞ばかりの曖昧模糊にして五里霧中な世界で無名俳優たち(ウッドが知っている唯一のハリウッド)のエピソードが語られる中、ウッドは呪詛と悲嘆をくりかえすのである」(柳下毅一郎『オレにやらせろ』)。

こうしたポストモダン現象にはある歴史的状況が可能にしている。ジャン・フランソワ・リオタールは、『ポストモダンの条件』(一九七九)において、ポストモダンを「一九世紀末に端を発する、科学、文学、芸術の活動規則に影響を与えたさまざまな変化以後の文化の状態」と定義する。現代の文化状況の特徴は、理性の進歩や自由、革命、人間の解放といった近代の信念を支えてきた「大きな物語」が効力を喪失した点である。ポストモダンは、新たな大きな物語を考案するのではなく、多様化と差異を受け入れ、世界を構成する諸要素の異質性を感受し、今までとは別の構成規則を求める。「大きな物語」は方向性を持った運動だったが、「大きな物語」の喪失という意識は現象にほかならない。

一九八〇年、田中康夫が『なんとなく、クリスタル』を発表する。日本のポストモダンは「一九八〇年東京」を描いたこの作品を徴候としている。全体は、モデルをしている女子大生由利を主人公にした私小説の本文、四四二に及ぶ註、人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」と「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年度版厚生白書)」の三つの部分によって構成されている。本文で現代の若者の生活を描き、註で、ブランドやディスコなど登場してくるものを解説、若者に対する非難を批判すると同時に、若者にも苦言を呈し、さらに、最後の二つの表により、少子高齢化が急激に進み、次作で彼が命名した「ブリリアントな午後」にある日本社会もいずれ夕暮れが訪れると警告している。

こうした八〇年代を用意したのは、日本の場合、七〇年代であろう。日本経済の二桁成長は一九七四年に終わるが、七〇年代、アメリカの排ガス規制を世界で最も早く達成した結果、コンパクトな日本車が輸出され、大馬力のマッスル・カーに代わり、アメリカの道路を占めるようになる。また、Made in Japanの家電製品は、技術性と安定性において、他国に優位さを獲得し、世界を席巻する。八〇年代に入り、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国に成長して、日本の自動車産業はビッグ・スリーを脅かし、日米の貿易摩擦が深刻化する。そのため、プラザ合意が結ばれて円高ドル安が誘導され、八〇年代後半、バブル経済が急激に膨張していく。

田中康夫は、現代ではすべてが記号化し、等価の時代になっていると宣告する。価値はア・プリオリではなく、社会的・時代的背景の下、その都度、個人的な欲求・欲望に基づいて構成される。一切が無価値なのではない。ヒエラルキーが崩壊し、すべてが等価に置かれ、アナ−キーに、クロスオーバーしているのが「ぼくたちの時代」だと田中康夫は訴えたのである。狭義のポストモダニズムはポストモダン的状況を表象する言説の現象である。その上、日本は、三八度線というvisibleな問題がある朝鮮半島と違い、諸問題がinvisibleであり、作家はそれを描く繊細さを持たなければならない。「欲望というものは機械であり、諸機械の総合であり、機械的<仕組み>である。―つまり欲望する諸機械である。欲望は生産の秩序に属しており、一切の生産は欲望する生産であるとともに社会的生産でもある。だからわれわれは精神分析がこの生産の秩序を押しつぶし、この秩序を表象の中へ押し戻したことを非難するのである。…〔精神分析のいう〕無意識はオイディプスを信じ、去勢を信じ、法律を信じている」(ジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』)。しかし、その社会も急激に進む少子高齢化によって変化せざるを得ないという田中康夫の指摘は現在も有効である。

高度に発達した消費社会ではすべてが商品化される。神も例外ではない。神が生きていても、死んでいても、商品にはならない。フリードリヒ・ニーチェは「神の死」を宣言したが、ポストモダンにおいて、神の死は決定不能に置かれることになったのである。

こうした主張は、少数を除いた既存の文学者・編集者・ジャーナリストから糾弾されたが、高度消費社会とポストモダニン的状況が融合した時代の中、次々に共鳴する作家がデビューする。それは、モダニズムのような運動ではなく、現象としての思想である。ポストモダニズムは、ポストモダン的状況に対して、ユーモラスな姿勢をとる。一九八二年、高橋源一郎が『さようなら、ギャングたち』、翌年には、島田雅彦が『やさしいサヨクのための喜遊曲』、さらに、一九八四年、小林恭二が『電話男』を公表する。小説の他にも、一九八三年に浅田彰が『構造と力』、中沢新一が『チベットのモーツァルト』により登場している。特に、『構造と力』は思想書として類を見ない売り上げを記録する。浅田彰と中沢新一に代表される理論家は「ニュー・アカデミズム」と呼ばれ、先行世代から反発されながら、若者を中心に受容される。

ポストモダン文学は、全般的に、理論志向が強く、新たな方法を携えて日本文学にやってきた越境者である。島田雅彦は現代ロシア小説、高橋源一郎は現代詩、小林恭二は現代俳句、ニュー・アカデミズムはポスト構造主義に強く影響されている。ポストモダン文学は、そのラディカルなアナーキズムによって、先行文学との非連続性が強調されるため、日本文学の後継への期待をこめて作家に与えられる芥川賞とは縁遠い状況になっている。日本の文学賞は、これ以降、完全に形骸化する。「<それ>は作動している。ときには流れるように、ときには時々止まりながら、いたる所で<それ>は作動している。<それ>は呼吸し、<それ>は熱を出し、<それ>は食べる。<それ>は大便をし、<それ>は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらを一まとめに総称して<それ>と呼んでしまったことは、なんたる誤りであることか。いたるところでこれらは種々の諸機械なのである。…乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である。食思欠損症の口は、いくつかの機械を前にしてためらっている機械である。すなわち、食べる機械であるのか、肛門機械であるのか、話す機械であるのか、呼吸する機械であるのか(この場合には喘息の発作が起るのを決めかねているのだ)」(ジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』)。

 

お熱いのがお好き─モダニズムの腐敗と頽廃を逆手にとるための準備運動の試み

 ポストモダンが建築の用語から普及したのに対して、モダニズムが宗教界の動向に由来するのは、別に、驚くべきことではない。「モダニズム(Modernism)」は、資本主義的市民社会の合理化という原理に基づいて、古い宗教的権威と道徳的規範に縛られた伝統社会を脱却し、近代にふさわしい社会と文化の構築を目指した精神的態度である。西欧では、一八世紀末から一九世紀半ばの産業革命を経て産業資本が確立する。一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、神の死を迎えたキリスト教教会の内部で、外的な権威の束縛を脱し、近代科学の成果を積極的に取り入れ、キリスト教を現代的にしようとする宗教改革運動が起こる。こうしたモダニズムは、カトリック、プロテスタント、英国国教会のいずれにも見られる。第一次世界大戦後の一九二〇年代に、表現主義、未来派、ダダ、シュルレアリスム、ロシア・フォルマリズムなどの革新的な芸術運動が登場する。こうした芸術のモダニズムは、一九世紀の支配的な芸術様式であった写実主義を否定して、近代化がもたらす機械文明や都会的な感覚を重視し、機械美の称揚、装飾よりも機能を優先する態度、細分化された現実の断片のモンタージュ手法による再構成といった革新的スタイルによって、伝統や市民社会に対する急進的な批判を展開する。モダンとモダニズムを同一視してはならない。モダニズムは、賛否両論あるものの、モダンという時代に対する攻撃的な反応である。モダニズムはモダンの短絡的な二項対立を批判するために、アイロニカルに複雑さを具現化している。その晦渋さは自己充足的である。しかし、資本主義の進展により社会生活全般が産業化され機能化されるに伴い、モダニズムはその衝撃力を急速に失っていく。

 日本のモダニズムは、ほぼ同時代的に、欧米の二〇世紀芸術の影響を強く受けて成立している。横光利一や川端康成の新感覚派、中村武羅夫ならびに舟橋聖一の新興芸術派、マルセル・プルーストやジェームズ・ジョイスらの作品の翻訳と研究に基づく心理主義、阿部知二と伊藤整に代表される主知主義がそれに含まれる。モダニズム芸術は、欧米では、第二次世界大戦以前を指すが、日本の場合、戦後になって、石川淳の世代から安部公房に至るまで続いている。と言うのも、前者は西洋近代文明の矛盾を人々に印象づけた第一次世界大戦の経験があるが、後者が近代化の矛盾を実感したのは第二次世界大戦だからである。

 宗教界から始まったモダニズムはモダンにおける倫理の創造を試みたものの、全体主義に対して有効には機能しない。イタリア未来派のようにファシズムに賛同したグループもあったけれども、ナチス・ドイツでは「頽廃芸術」、ヨシフ・スターリンのソ連においては「人民の敵」として弾圧される。しかし、その実験的な多彩さが以後の文化に与えた功績は大きい。多くのモダニストが新大陸に亡命し、芸術の世界的な中心地はニューヨークに移る。しかも、モダニズムの過去との暴力的な切断により、後発世代は歴史への身軽さを獲得する。伝統はたんなるデータとなり、誰もがアクセスして、自由に引用できるようになる。ポストモダニズムはこうして用意される。

 ポストモダニズムは、モダニズムとは逆に、宗教界への浸透は遅かったが、最近、最も活発化している。同時多発テロ以降、ジョージ・W・ブッシュ大統領の口から「これは悪で、これは善だというふうに、二元論的になるのはモダンの思想だと思うのです。モダンの思想では、悪をどんどん取り除いていって、一つのシステムを追求していくのがいい、そうすれば、どんどん進歩し、成長していくだろう」という発想に基づく言葉がついて出てくる。メディアも原理主義や保守主義の短絡さと蛮行を報道し続けている。その一方で、ダイアナ・エックの『新しい宗教的アメリカ』によると、宗教におけるポストモダニズムとも呼ぶべき「宗教多元主義(Pluralism)」が人々の間で広く支持されている。テキサス州のモスクに焼夷弾が投げこまれた事件の際に、各宗教の指導者が駆けつけ、一緒に結束の礼拝を行っているし、ヴァージニア州で、ムスリムの書店が破壊されたとき、何百通という支援の手紙と花束が届けられている。ただし、メディアはこれらを取り扱っていない。アメリカでは、キリスト教原理主義に代表される狭量な宗教右派と無神論を含めて異なる宗教やエスニック・グループとの共存を尊重する多元主義がせめぎあっている。原理主義や一元主義は線形近似にすぎず、ポストモダンの持つ非線形の現象を把握することはできない。モダニズムにしろ、ポストモダニズムにしろ、到来している時代における新たな倫理の生成に基づいている。ポストモダニズムの場合、それは「共生」であり、その意味で、ポストモダニズムはまだ必要とされている。

 

Life is bigger

It's bigger than you

And you are not me

The lengths that I will go to

The distance in your eyes

Oh no I've said too much

I set it up

 

That's me in the corner

That's me in the spotlight

Losing my religion

Trying to keep up with you

And I don't know if I can do it

Oh no I've said too much

I haven't said enough

I thought that I heard you laughing

I thought that I heard you sing

I think I thought I saw you try

 

Every whisper

Of every waking hour I'm

Choosing my confessions

Trying to keep an eye on you

Like a hurt lost and blinded fool

Oh no I've said too much

I set it up

 

Consider this

The hint of the century

Consider this

The slip that brought me

To my knees failed

What if all these fantasies

Come flailing around

Now I've said too much

I thought that I heard you laughing

I thought that I heard you sing

I think I thought I saw you try

 

But that was just a dream

That was just a dream

(R.E.M. “Losing My Religion”)

 

こうしたポストモダン的状況を最も理解していたのはマーシャル・マクルーハンであろう。ポストモダンの思想は、結局、マクルーハンを後追いしているにすぎない。マクルーハンを表紙にした一九七六年三月六日号の『ニューズウィーク』誌には、彼に対するさまざまな批評が掲載されているが、それさえもポストモダン文学への批判に酷似している。好意的な評でさえ、「『グーテンベルクの銀河系』と『メディアの理解』は、文学と科学の統合の反映である。両書がひけらかすのは、マクルーハンの凄まじい博覧表記ぶり、腹立たしい手法、そして、文化とコミュニケーションに関する彼の理論の無差別掃射である」という有様で、最終的に、「意図的で、繰り返しが多く、支離滅裂で、教条的」と談じている。日本でのポストモダンのイメージは浅田彰が『構造と力』の巻末につけたチャートによって普及している。このチャート上のモダンとポストモダンの区別はマクルーハン『メディアの理解』における「ホット」と「クール」に対応する(かの有名なパラノ=スキゾより、現在から見て、マクルーハンのシンタックス=モザイクが適切である)。実際、彼は、マクルーハンに対するのと同様の非難にさらされている。「浅田については、なんでも知っているとか、なんでもわかるとか、ま、そうしたことでヒーローになったが、それはまあ、極端に性能のよいコンピューターのようなものであって、どうということはない。それより、彼の真価は編集能力にある。一見は関係のなさそうなことを変換してきて別の文脈に関連づけ、それをうまくアレンジして並べる。僕の好みから言うと、少し余白のなさすぎるところはあるが、ぼくなどのように余白ばっかりよりはよいだろう」(森毅『世話噺数理巷談』)

 

We want to multiply, are you gonna do it

I know you're qualified, are you gonna do it

Don't be so circumscribed, are you gonna do it

Just get yourself untied, are you gonna do it

 

Feel the heat pushing you to decide

Feel the heat burning you up, ready or not

 

Some like it hot and some sweat when the heat is on

Some feel the heat and decide that they can't go on

Some like it hot, but you can't tell how hot 'til you try

Some like it hot, so let's turn up the heat 'til we fry

 

The girl is at your side, are you gonna do it

She wants to be your bride, are you gonna do it

She wants to multiply, are you gonna do it

I know you won't be satisfied until you do it

 

Some like it hot and some sweat when the heat is on

Some feel the heat and decide that they can't go onV

Some like it hot, but you can't tell how hot 'til you try

Some like it hot, so let's turn up the heat 'til we fry

 

Feel the heat pushing you to decide

Feel the heat burning you up, ready or not

 

Some like it hot and some sweat when the heat is on

Some feel the heat and decide that they can't go on

Some like it hot, but you can't tell how hot 'til you try

Some like it hot, so let's turn up the heat 'til we fry

 

Some like it hot, some like it hot

Some like it hot, some like it hot

Some like it hot, some like it hot

 

Some like it hot, some like it hot

(Power Station ”Some Like It Hot”)

 

 ただ、マクルーハンは、メディアの受け手の立場から理論を展開しているが、送り手の側からだと、少々異なった対応表ができる。彼はラジオと電話、映画とテレビ、写真とマンガを対比している。しかし、制作の特性から判断すると、小栗康平の『映画を見る眼』によると、テレビはラジオ、映画は写真の延長上にある。メディアの理解は一つの立場だけでは十分ではない。

 

植物化するポストモダン─あるいはポストモダンの彼方

東浩紀は、『動物化するポストモダン』において、アレクサンドル・コジューヴを援用しつつ、ポストモダンを「動物」と捉えている。コジューヴは「歴史の終わり」の後、人々には二つの生き方しか残されていないと主張する。一つはアメリカ的生活様式の追求、すなわち「動物への回帰」であり、もう一つは日本的な「スノビズム」である。

コジューヴは戦後アメリカで台頭してきた消費者の姿を「動物」と呼んでいる。人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動、すなわち環境との闘争を経なければならない。一方、動物はつねに自然と協調して生きている。消費者の「ニーズ」に応える商品に囲まれ、メディアが提供する流行にのっているアメリカの消費社会はもはや「人間的」ではなく、「動物的」でしかない。「歴史の終わりのあと、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを開き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう」(コジューヴ『ヘーゲル読解入門』)

 

I'm ready

I'm ready for the laughing gas

I'm ready

I'm ready for what's next

I'm ready to duck

I'm ready to dive

I'm ready to say

I'm glad to be alive

I'm ready

I'm ready for the push

 

The cool of the night

The warmth of the breeze

I'll be crawling 'round

On my hands and knees

 

Just down the line...Zoo Station

Gotta make it on time...Zoo Station

 

I'm ready

I'm ready for the gridlock

I'm ready...to take it to the street

I'm ready for the shuffle

Ready for the deal

Ready to let go of the steering wheel

I'm ready

Ready for the crush

 

(She's just down the line)...Zoo Station

(Got to make it on time)...Zoo Station

 

Alright, alright, alright, alright, alright

It's alright, it's alright, it's alright, It's alright

Hey baby, hey baby, hey baby, hey baby

It's alright, it's alright

 

(Alright, you can turn it up)

 

Time is a train

Makes the future the past

Leaves you standing in the station

Your face pressed up against the glass

 

I'm just down the line from your love...(Zoo Station)

You know I'm under the sign...(Zoo Station)

I've gotta make it on time

Make it on time...(Zoo Station)

That's alright...(Zoo Station)

Just two stops down the line...(Zoo Station)

Just a stop down the line...

All View: 523 time(s), Today: 1 time(s)

This song is incorrect and I want to send corrections.

(U2 “Zoo Station”)

 

「スノビズム」は、環境を否定する理由がないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」それを否定する行動様式である。人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動、すなわち自然との闘争を経なければならない。ところが、「スノビズム」は、そうした環境を否定する実質的な理由がないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」、すなわち儀礼的に、それを否定する行動様式である。スノッブは、「動物」と違って、環境と調和することを拒否する。否定の契機がなかったとしても、意図的に、環境を否定し、形式的な対立をつくりだし、その対立に耽溺する。けれども、これはあくまで儀礼でしかなく、歴史を動かす力にはならない。

東浩紀は言及していないけれども、スノビズムに対抗する姿勢としてダンディズムがある。シャルル・ボードレールの『現代生活の中の画家』によると、ダンディーは精神主義や禁欲主義と境界を接した「自己崇拝の一種」であり、「独創性を身につけたいという熱烈な熱狂」であって、「民主制がまだ全能ではなく、貴族制がまだ部分的にしか動揺し堕落してはいないような、過渡期にあらわれ」、「デカダンス頽廃期における英雄主義の最後の輝き」である。貴族制が完全に後退した二〇世紀において、スノビズムがあまりに凡庸であったとしても、ダンディズムは陳腐なアナクロニズムにすぎない。そういったダンディズムのポーズ自体凡庸なスノビズムであろう。

しかし、ドゥルーズ=ガタリが「リゾーム」の比喩を用いていたことを思い出そう。ポストモダンは「動物」ではなく、「植物」と考えるべきである。「リゾームになり、根にはなるな、決して種を植えるな!蒔くな、突き刺せ!一にも多にもなるな、多様体であれ!線を作れ、決して点を作るな!スピードは点を線に変容させる!速くあれ、たとえ場を動かぬときでも!幸運の線、ヒップの線、逃走線。あなたのうちに将軍を目覚めさせるな!正しい観念ではなく、ただ一つでも観念があればいい。短い観念を持て、地図を作れ、そして写真も素描も作るな!ピンクパンサーであれ、そしてあなたの愛もまた雀蜂と蘭、猫と狒狒のごとくであるように」(ジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリ『リゾーム』)。ポストモダンは決定不能的なものが多方向的・重層的に拡散し、相互に横断し合いながら生成を続けるこういったリゾーム状の場にほかならない。

すべての生物は自己複製する生成であるが、動物は老い、死ぬけれども、植物は、動物の意味では、不老不死である。植物においては死や生の概念が異なり、動物的な観点では、生きているとも死んでいるとも言えない。死は、有性生殖と共に、生じる。有性生殖では別々の遺伝子が混合される以上、純粋には複製ではない。細胞は有性生殖によって若返る。一方、単細胞生物は自分と同じ細胞を複製していくため、すべてが自分自身であるから、死は存在しない。原核生物は無限に分裂できる。オリジナルも、コピーも、同様に、存在しない。一種のファイルである。“In the midst of death we are in life”(James Joyce “Ulysses”).ポストモダンは、こういった植物や単細胞生物のように、死や老いの決定不能性に到達している。

ドゥルーズ=ガタリは「プレモダン」を「樹木的(アルブル)」と譬えている。プレモダンは、確かに、樹木的な植物である。神は死と再生のヴィジョンを通じて永遠を人々に意識させる。動物では、生きた細胞によって成り立っているのに対して、樹木は、地面に生えている時点で、大部分が死んだ細胞で構成されている。縄文杉の中心は腐ってなくなっている場合が多いが、成長を続けている。植物は、生きている限り、成長を続ける。成長の限界を持たず、老いない。そのため、切り出されても、木材は長持ちする。「アルブル」はプレモダンにおけるたんに階層的な秩序の系統樹以上の意味を持っている。

モダンは、プレモダンを否定するために、動物化する。ヒトはサルから進化したのであり、神を殺さなければならない。しかし、ポストモダンは、モダンとは違い、プレモダンに対する抵抗感はない。プレモダンを蘇らせる。ただし、樹木ではなく、パロディとして、雑草のようなリゾーム的な植物として具現する。「雑草は樹木よりずっと小さな種子を作りますが、何年も土の中に生き残って少しずつ発芽するので、草を取っても取ってもなかなか根絶やしにできません」(鈴木英治『植物はなぜ5000年も生きるのか』)

タイの首都バンコクは、正確には、「クルンテープマハナコーンアモーンラッタナコーシン・マヒン・タラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッテナ・ラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウェットッマハー・サターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカ・タットティヤウィサヌカムプラシット」であり、その意味は「天使の都、偉大な都、エメラルドの仏陀の住む都、インドラ神の住む信仰篤きアユタヤの都、九つの宝石を授けられた世界の大いなる都、神の化身が住まわれる天国の様な固き王宮の幸多き都、インドラ神によって与えられヴィシュヌ神によって造られた都」である。これは、そのリゾーム的な長さの点で、ポストモダンであると言わねばなるまい。

 

Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch.

 

Adolph Blaine Charles David Earl Frederick Gerald Hubert Irvin John Kenneth Lloyd Martin Nero Oliver Paul Quincy Randolph Sherman Thomas Uncas Victor William Xerxes Yancy Zeus Wolfeschlegelsteinhausenbergerdorff, Senior.

 

寿限無寿限無五劫の摺り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所ヤブラコウジのブラコウジパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助。

 

リゾーム的なクレオソートブッシュは一万一七〇〇年以上も生き続けている。「植物の分裂細胞はすべてが次世代に遺伝子を伝え得るようにできているために、老化が起こりません」(『植物はなぜ5000年も生きるのか』)。植物では、受粉ではなく、種子が発芽したときを一生の始まりとされている。種子のまま一万年以上も休眠した後に発芽した例もある。しかも、植物は同じ場所で新旧の細胞が交代するわけではなく、古い細胞の外側に新しい細胞が付け加わる。「根は生き長らえた死者である(La racine est le ort vivant)(ガストン・バシュラール)

レオナード・ヘイフリックは、一九六一年、正常な細胞はある回数分裂すると、それ以上分裂しなくなり、死んでしまうことを発見する。寿命は「ヘイスリックの限界」、すなわち細胞の分裂回数のプログラムと不可分の関係にある。植物は、体細胞と生殖細胞の分化が遅いため、テロメラーゼ酵素が生殖細胞以外にも確認できるため、クローンが容易にできる。樹齢に関係なく、原則的に──いかなるものにも、例外はある──、葉も老化しない。植物の生殖能力は老化しない。寿命や死は個体とは何かという問に収斂されるのであって、植物はクローンによって世代交代を繰り返せる。

ポストモダンは過去を自由に引用する。プレモダンだけでなく、モダンもパロディ化している。グレゴール・ヨハン・メンデルがえんどう豆を使った交雑実験からメンデルの法則を導き出したように、ゲノムの点から見れば、動物の植物も生物の範疇に収められる。すべての生物は非線形非平衡系の開かれた生成である。植物に限らず、動物の細胞にも不死の常態に陥る場合がある。癌化した細胞は不死化する。患者自身が亡くなった後でも、栄養さえ与えて培養すれば、無限に生き続けられる。不死化には、さまざまな要因が関係していると考えられ、活発に研究されているけれども、その一つとしてDNA合成に伴うテロメア合成があげられる。細胞のDNAの端にテロメアと呼ばれる部分があるが、細胞分裂に先立つDNA合成の際に、テロメアの一部が合成されないため、細胞分裂の度に、テロメアが短くなっていき、ある程度まで短くなると、遺伝子全体の合成ができなくなる。「正常細胞ではテロメアが分裂の度に短くなりますが、癌細胞ではテロメラーゼという酵素が発現(現れる)して、テロメアが短くならないように合成しています。そのために、何度でも分裂ができるのです」(小城(こじょう)勝相(しょうすけ)『生命にとって酸素とは何か』)。癌細胞単体では生きることはできない以上、それは生きているとも死んでいるとも言えない。癌化した動物の細胞は植物化する。ポストモダンは、ある意味で、癌化したモダンである。

ポストモダンにおいて、善悪や真偽、美醜、新旧、生死も決定不能になっている。従って、ポストモダンは植物化していくのである。

 

ネットワークとプロトコル─モダニズムの呪縛から逃れるための

ポストモダニズムの思想はニーチェを援用していたけれども、むしろ、ポストモダニズムが体現していたのは現象学的世界である。その世界像は間主観性に基づいている。竹田青嗣は、『現象学入門』において、間主観性は私と他者の関係ではなく、「“他我が〈私〉と同じ〈主観〉として存在し、かつこの『他我』も〈私〉と同じく唯一同一の世界の存在を確信しているはずだ“という〈私〉の確信」、すなわち「〈私〉と〈他者〉の相互関係を言うのではなく、私の確信のある構造をさしている」と言っている。

竹田青嗣は、『現代思想の冒険』において、「確信の構造」について次のように述べている。

 

だが〈主観〉に固有の真理しか存在せず、はじめから「ほんとう」が一切存在しないなら、なぜわたしたちに、この言い方は「ほんとうだ」という納得が訪れるのか、全く説明できないことになるだろう。懐疑論的パラドックスは、つまり、認識にはどんな根拠(客観という〉もないにもかかわらず、なぜ人間は相互理解の可能性をもち、あるレベルでは極めて広い共通認識が成立するのかを、まったく説明できないのである。

フッサールがこれに与えた説明のかたちを簡単に示そう。

まず彼は、〈客観〉なるものはそもそも存在しないと言う。だから〈主観〉どうしの間(間主観性)で成立する「ほんとう」は、その根拠を〈客観〉によって明かすことはできない。ではいったい「ほんとう」の根拠はなんなのか。それはただ〈主観〉の内側だけで生じる「確信の構造」としてだけ言える。そうフッサールは言うのである。

彼によれば、近代哲学が〈客観〉と呼びその実在を確かめようとしていたものの正体は、じつは、間主観性として(二つ以上の主観に共通して)成立する、恣意的にはどうしても動かし難い「確信の構造」ということなのである()

われわれが〈客観〉とか〈真理〉(ほんとう)とか呼んでいるものはどういうことか。それは要するにひとが二人いればその二人の間に、百人いれば百人の間に、共通の確信が成立するか否かということのみにかかっている。これはたしかに存在する、これはこういうことだという動かし難い確信が共通に成立すれば、それをわたしたちは〈客観〉といい〈真理〉と呼んでいる。だがこのとき注意すべきは、〈客観〉や〈真理〉とはまさしくそういうものだから、それは究極的な最後の知として確定されることは決してあり得ないということにほかならない。

フッサールは〈客観〉や〈真理〉は「超越」(信憑)であると言うが、その意味は、この確信の像は、いつも必ずそうでないかもしれないという可能性を残している、ということだ。それらはそれ以上の意味を決してもっていない。だがここで重要なのは、これらの核心は、たまたま一致したり、恣意的に一致させたりできるものではないという点だ。それらは〈主観〉の内側だけで固有の構造を持っているのである。

フッサールは、この構造を、〈ノエシス−ノエマ〉、〈内在−超越〉という概念によって説明している。フッサールの言わんとするところをわたしなりに噛み砕いてみよう。

たとえば人間の一番強固な(動かし難い)共通の確信(信憑)は、〈自分〉の外側に実在する自然世界が拡がっており、〈自分〉はその中で、ものや〈他人〉とともに、それらと関係して生きているという了解である(懐疑論者はただ論理的にそれを疑って見せているにすぎず、実際は彼らもそれを確信している)。ただし、〈自分〉は〈自分〉として存在しているという確信、〈他者〉は〈自分〉と同じような〈意識〉として存在しているという確信も、〈世界〉が存在するという確信と同時的かつ対応的に成立する。

逆にいちばんあいまいな確信は、ものごとの本質(現象学では、言葉の形でだけ所有される意見や世界観という意味で使われる)に関する確信である。なぜこれがもっともあいまいな確信であるかもはっきりしている。

確信の強度は簡単に言ってふたつの要素を持っている。ひとつは、他人の確信から訪れ(間主観性の構造)、もうひとつは自分自身の確信(超越論的主観の構造)からくる。

 

このような認識のポストモダンの世界像はネットワークとプロトコルとして具体的に理解できる。現代は通信社会であって、ポストモダンは通信網であり、その規則はプロトコルである。ネットワークはノードとリンクによって構成される。ポストモダンの芸術は相互にリンクされたハイパーメディアのようだ。

ポストモダンはWorld Wide Webではなく、ユビキタスと理解しなければならない。WWWリンクは、確かに、世界中のインターネット上に存在し、大規模なマルチメディア知識データベースを形成する。マーク・ワイザーが提唱したユビキタス・コンピューティングは、メインフレームとPCに続く第三世代を示している。一人が複数のコンピューターを使うコンセプトであり、アクセスに用いる端末は、パソコンや携帯電話に限らず、冷蔵庫や電子レンジといった家電製品、自動車、自動販売機等もインターネット接続され、ウェアラブル・コンピューターも開発中である。これらの情報端末間はケーブルではなく、無線LANやブルートゥースという無線ネットワークで接続される。また、現在のインターネットの接続規約(IPv4)では約四三億個のアドレスしかなく、一人が複数の端末を使うようになると不足してしまう。IPv4の四乗個というほぼ無限のアドレスを持つIPv6の導入が予定されている。無線LANはすでにアメリカで実用化されている。ホット・スポットと呼ばれるノートPCPDAを利用するユーザーが多い空港、ホテルの他にスターバックス店舗などでも利用可能である。日本でも、モスバーガーやJR東日本が、現在の携帯電話より高速でインターネットにアクセスできる無線LANサービスの実験を発表している。ポストモダンはユビキタス化して、ありとあらゆるところに入りこんでいる。これこそがリゾームであり、こうしたリゾームには誰もがアクセスできる。八〇年代のメディアの大きな変化を背景に登場するポストモダニズムにはメッセージ性とマッサージ性を備えていたけれども、九〇年代になると、そういった狭義のポストモダニズムに代わって、衝撃的ではないものの、さらなる広義のポストモダニズムがエントロピー的に現象化している。

マクルーハンはメディアにおける「参加(Participation)」を重視している。ネット世界は、テレビ以上に、それが増加する。「ヴァーチャル(virtual)」の反対語は「リアル(real)」ではない。「名目(nominal)」がそれに相当する。名目の類義語は「仮想(supposed)」や「擬似(pseudo)」である。前者は仮に想定したものであり、後者は外見は似ているが、本質的には異なるものを指す。また、リアルの反意語は、「実数(real number)」と「虚数(imaginary number)」の関係が示している通り、「虚(imaginary)」である。ヴァーチャルは、むしろ、現実の類義語であり、それは表面的にはそう見えないけれども、本質あるいは効果において現実を感じさせるものを意味する。視覚障害者が白い杖を使って道を歩くことはヴァーチャル・リアリティの一例である。ドニ・ディドロの『盲人書簡』や『聾唖者書簡』に見られるヴァーチャル・リアリティはいまだに古びてはいない。リアルは間主観性としてのみ感じられる。リアルとヴァーチャル・リアルは対等に置かれ、コミュニケーションも同様に行われる。

こうした世界は非線形的な複雑系を体現している。複雑系では微分方程式が十分に使えないため、極限の特権性は失われている。コンピューター・グラフィックによるシミュレーションとしてアトラクターを描くことができる。ファン・コッホが発見したコッホ曲線(Koch curve)は自己相似性、微分不可能性、有限の範囲で無限の長さを持つため、通常の次元の概念が通用しない。ペアノ曲線(Peano curve)も同様である。また、ジュリア集合(Julia set)やマンデルブロー集合(Mandelbrot set)などは、フラクタル次元というハウスドルフ次元が位相次元より大きい集合である。これらはフラクタルと呼ばれている。「大きな物語」が崩壊した後、フラクタルな物語が出現している。モデル学の変遷において、ニュートン力学では、運動方程式を書き、解を求める。アンリ・ポアンカレの力学においては、方程式を書くものの、解は求めない。しかし、アルゴリズムでは、式さえ書かない。マルティン・ハイデガーは答えを出すことではなく、問いを発し続けることの重要性を説いたが、それはポアンカレ的な姿勢である。ポストモダニズムはアルゴリズムにほかならない。さらに、今では、アルゴリズム離れも進んでいる。アルゴリズムを知らなくとも、オープン開発された既存のものを組み合わせたり、改変したものを新たな作品として提出している。引用に次ぐ引用がネットワーク効果としてこの世界を加速させる。

しかし、そういった状況がいかなる世界をもたらすかについて、マクルーハンは、一九六七年、『ホット・アンド・クール』の中で、次のように警告していたのである。

 

どんな家族でも一つ屋根の下に置かれたら、同じ都市の何千もの家族以上に多くの相違と少ない調和に悩まされるのです。村の条件が整えば整うほど、断絶や分裂、多様性がまします。グローバル・ヴィレッジはあらゆる点において最大の不調和を確実にもたらします。均一性や平穏さがグローバル・ヴィレッジの特性だなどと思ったことは決してありません。(略)部族的なグローバル・ヴィレッジは、いかなるナショナリズムと比べても、はるかに分裂的です。紛争に満ちています。ヴィレッジの本質は分裂(fission)であって、融合(fusion)ではありません。()グローバル・ヴィレッジは理想的な平穏や調和を見出すための場所ではありません。その逆です。

 

ポスト構造主義の消費─ニュー・アカデミズムのテーマによるラフ・スケッチの試み

日本のポストモダンの特徴はニュー・アカデミズムの流行であろう。その最大のスターは浅田彰であり、彼は日本的なポストモダンの現象を完全に体現している。

浅田彰は、一九八三年、『構造と力 記号論を超えて』において、衝撃的に登場する。浅田彰は、先行する吉本隆明や江藤淳、山口昌男、蓮実重彦、柄谷行人らとは異なった時代に属している。スキゾ=パラノは、一種の流行語になり、翌年には、『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』を刊行し、これでも「逃走」をめぐって話題になっている。彼は、以降も著作を発表しているものの、次第に書かなくなってきている。「いや、単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、大いなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、ぼくは選ばれなかったというだけのことですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に意識していますけれど」(浅田彰『伝統・国家・資本主義』)。

一般的にはともかく、若き俊才が浅田彰以上に影響力をアカデミズムに及ぼしたケースもある。久保亮五は、二七歳のときに、『ゴム弾性』を書いている。「ゴムは奇妙な物質である」から始まるこの著作は、現在に至るまで、高分子科学や統計力学、エントロピーの古典的名著である。彼は、一九四三年に、橋かけゴム分子のエントロピー弾性についての統計力学的理論を発表している。これにより、彼の名前は、湯川秀樹と並んで、世界の物理学会に知られるようになっている。また、谷山豊が、後に谷山=志村予想と呼ばれる大胆な予想を発表したのも二〇代後半である。彼はアンドレ・ヴェイユに絶賛され、自ら命を絶ってしまったため実現しなかったものの、プリンストン大学から招聘されている。この予想はアンドリュー・ワイルがフェルマーの最終定理の証明の際に鍵として使ったことで知られている。ただ、両者とも、画期的な業績を残したものの、あくまでアカデミズムの内部にとどまっている。

彼らとは違い、浅田彰はアカデミズムを越境する。モダニズムはサロン性は強かったものの、反アカデミズムの運動であったのに対し、ポストモダニズムは必ずしもアカデミズムと対立はしない。彼はポスト構造主義を消費し、それによってニュー・アカデミズムを一般にイメージさせている。「ニューアカというのは、アカデミズムのファッション化だと思うのです。浅田だって『構造と力』で初めて出たときには、別にフランス現代思想を論ずるというより、そのチャート式見取り図をつくるのだと言っていました。チャート式見取り図というのは、いわばファッションの世界とアカデミズムの世界をつなぐのです。つまり、本郷と六本木をクロスオーバーさせるというのがニューアカの役割なんです」(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)。大学は「ルーズ・カップリング(Loose Coupling)」と呼ばれる通り、従来から多様な人々の緩やかな連合体であったが、その頃には、「大学(University)」から「マンモス大学(Multiversity)」にまで拡大している。一九八四年、ハーバード大学総長のデレク・ボック(Derek C. Bok)は『象牙の塔を超えて』を表わしている。浅田彰はそれを実践していたのである。

今日のアカデミズムは大学と不可分の関係にあると見なされている。大学は、ヨーロッパで、同業者組合、すなわちギルドの一種として誕生している。修士号を意味する「マスター(Master)」はその名残である。アカデミズムは、誕生した当時、必ずしも、こうした大学とは直結していない。

森毅は、『メディアのなかのアカデミズム』において、アカデミズムの歴史を次のように解説している。

 

アカデミズムと言っても、ギリシアは問わない。それは、世界が違うから。

ルネサンスのアカデミズムというのは、フィレンツェあたりの都市貴族が工房の職人たちをまきこんだグループだったはずだ。いくらかは都市間の交流があっても、まあ今年の村祭りはどんな趣向でやろうか、といった気分。実際にパフォーマンスぐるみで成立している。レオナルドを万能の人のように言ったりするのは、後世の専門家どものひがみで、もともとルネサンス職人に専門なんかない。

十七世紀あたりで、フランスやイギリスになっても、確かに王の中央権力が強くなるから、そちらに義理を立てたり、頼ったりするのだが、別に制度化がしっかりしているわけではない。ひょっとすると、バラ十字の地下ネットワークもあったのかもしれぬが、いくらか力をつけてきた知的階層のなかよしグループのようなものだろう。

つまりはサロン。なにより集まって論じあう。そして、やたらと手紙を書く。手紙はあまり私的でなかったようで、書きうつされては読まれている。印刷されてもごく小部数。十八世紀になって、王のまわりにアカデミズムが作られていっても、事情はそれほど変わらぬ。だから、アカデミズムとは、サロンから発生している。このごろだと企業がスポンサーになってシンポジュームなどがあるが、今のほうがよほど権威的である。

今のアカデミズムという制度は、百五十年ぐらい前からのものだろう。つまりは、近代国家の制度なのである。近代教育の制度が作られるのと同じこと。同時に活字メディアのあり方が変わる。大部数の出版もそのころだが、新聞や雑誌が成立するのも同じ時代である。学校では、教科書がつくられて、カリキュラムが制度化する。活字メディアの時代が来て、近代アカデミズムも近代学校体制も作られたのだ。

そうして、現代がある。この現代を、近代的制度の発展と見るか、近代的精度の過剰と見るか。たとえば、日本人が学校に囲いこまれる期間は、この百年に、三年から十五年ぐらいに、つまり五倍になった。あと百年たって、今の五倍になったら、死ぬまで学校にいかなければならない。それがまあ、生涯学習というわけだが。

 

学術団体としてのアカデミーの起源は、フランク王国のカール大帝やイギリスのアルフレッド大王の事業に遡るが、アカデミーが本格的に発展したのはルネサンス期である。イタリアでは、一四三八年、コジモ・デ・メディチがアカデミア・プラトニカを開設、フィレンツェの自宅を開放し、会員に談論の場を提供する。その後、一五世紀から一六世紀にかけて多くのアカデミアが誕生したが、その多くが古典や自然科学の研究に取り組み、最新の知識を生み出している。特に、フェデリコ・チェシが一六〇三年に設立したローマのアカデミア・デイ・リンチェイには、ガリレオ・ガリレイも所属している。その他、イタリア語辞典を刊行した詩人アントン・フランチェスコ・グラッツィーニの開設によるアカデミア・デラ・クルスカも有名である。イタリア・ルネサンス発展を支えたこれらのアカデミアは、教会や大学、職人組合などと対抗することが多く、自己防衛のために君主や資産家の支援のもとで生き延びるか、あるいは組織を形成するといった措置をとっている。

アカデミーは、一七世紀以後、パトロンの支援を離れ、国家と結びつく。イタリア・ルネサンスの影響を受けて、一六世紀にアカデミー・デュ・パレが開設されたフランスでは、一七世紀には国家がアカデミーを直接的に組織する。リシュリュー枢機卿によるアカデミー・フランセーズ(一六三五)、王立彫刻絵画アカデミー(一六四八)、科学アカデミー(一六六六)、音楽アカデミー(一六六九)はフランス国家認定の学術団体であり、フランスの文化・科学技術の向上のための重要な役割を担っている。同様に、イギリスではローヤル・ソサエティ(一六六〇)が設立され、一八世紀に入り、フランスの科学アカデミーと並び、ヨーロッパ各地での国立科学アカデミー設立に大きな影響を与える。プロイセンの王立科学協会(一七〇〇)やスウェーデンの王立科学アカデミー(一七三九)などが相次いで、誕生している。

さらに、植民地アメリカでは、ベンジャミン・フランクリンが最初にアカデミーという言葉を紹介すると同時に、一七四三年、フィラデルフィアにアメリカ哲学協会を設立し、八〇年にはボストンにアメリカ学術アカデミーが発足している。独立後の一八世紀に発生した中産商業階級の実学的中等教育の必要性に応じて、マサチューセッツ州アンドーバーのフィリップス・アカデミーなどのように、私立のアカデミーが登場している。学校教育機関としてのアカデミーは、一九世紀前半に最盛期となるが、次第にパブリック・スクールにその役割を譲る。二〇世紀までに、合衆国では各地に学術研究団体としてのアカデミーは誕生したものの、中央集権が弱い体制であるため、ヨーロッパのような国家権力と結びついたアカデミーは育っていない。むしろ、空軍士官学校(アカデミー)や陸軍士官学校(アカデミー)、海軍士官学校(アカデミー)、ポリス・アカデミー、映画のアカデミー賞などに使われている。

国家と癒着してからのアカデミズムはペーパー・アカデミズムと化す。ペーパーは、アカデミズム自身の保存として機能し、大学のギルド性を強調するために、おしゃべりを排除し、単一化に向う。合衆国の場合、中央集権的なアカデミーは発達しなくても、アカデミズムの三権や産業界との結びつきは強く、論文の量でその人の業績が判断されるという状態に至る。アカデミズムは閉じられ、蓄積が成果と確信される。系が閉じられなければ、近代アカデミズムの業績である線形と平衡の手法が使えなくなってしまう。

日本のアカデミズムは事情が少々異なる。ニュー・アカデミズムは日本的なアカデミズムとジャーナリズムの関係を再検討を促している。日本のアカデミーは国民国家の形成と共に登場する。東京帝国大学が創設されるが、これは、西洋と異なり、神学部を持たない大学である。アカデミズムは、最初から、神の死に置かれている。国民国家体制と帝国趣旨政策推進の一機関という色彩が強い。ペーパー・アカデミズムとして機能した日本のアカデミズムには、ルネサンス的なサロン性が希薄である。欧米では、アカデミズムの支配力は強く、そこから離れて活動し、その手法を用いながら、一般にも影響力を持っていたのはジャン=ポール・サルトルくらいだろう。今日でも、欧米と比べて日本の企業経営者に大学院修了者が少ないように、大学院の認知度が低く、アカデミズムの持つ発言力はその内部に限定されている。メディアへの露出度はアカデミズムの貢献度には換算されない。その一方で、小林秀雄を筆頭に、有力な文芸批評家の多くはアカデミズムに席を置かず、ジャーナリスティックに活動している。棲み分けていたアカデミズムとジャーナリズムをニュー・アカデミズムはクロスオーバーさせたのでああ。

ニュー・アカデミズムは、そのため、メディア・タレントとして振舞うことを要求されるが、これは歴史的な流れである。一八世紀の知識人は、ヨーロッパにおいて、宮廷に属し、パトロンを持っていたけれども、一九世紀に入ると、大学に籍を置くようになる。彼らは活字メディアを使い、行動している。ペーパー・アカデミズムは書籍を権威の場所にしていたが、次第に、雑誌へと変わり、さらに、電波メディアが取って代わると、アカデミズム自体の重点がシンポジウム・アカデミズムへと変容する。知識人はメディアと密接な関係を築いてきたのであり、二〇世紀では、知識人はメディア・タレントでなければならない。

森毅は、『アカデミズムの行方』において、アカデミズムの今後について次のように述べている。

 

専門が栄えるということは、同じ関心の同業者に対してメッセージしているだけで間にあうということでもある。そのことで業界が繁栄するようでも、その業界が閉じる傾向を持つ。そして文化というものの正確として、世界が閉じることは閉塞することであるのは、文化史をふりかえればわかる。現代のアカデミズム文化が例外である保証はない。

現在のアカデミズム体制は、十九世紀半ばからというが、一世紀たった二十世紀の後半になって、閉じた世界で満できなくなったのではないか・この半世紀はぼくの生きた半世紀であったわけだが、そこではピア(同業者)・アカデミズムが支配していて、何か居心地が悪い気分がないでもなかった。戦後の半世紀に業界が量的に二桁増えることで、逆に繁栄が心配になったりする。

 

ポストモダニズムがモダニズムの恩恵に預っているように、ニュー・アカデミズムは従来のアカデミの没落から生まれているが、それは一九六〇年代に決定的になる。全共闘の功績の一つは講座制を破壊したことである。その結果、ハードからソフトへと知をめぐる認識が変容し、ソフト化を志向するアカデミズムはジャーナリズムと接点を見つけられるようになる。「ハードな学力はシステム化されて制度となるが、ソフトな学力はネットワークだけ。いま生涯学習時代で、必要になるのはむしろソフトな学力だろう。少なくとも、ハードな学力とソフトな学力がバランスしたほうがよい。ハードな学力の要求で、ソフトな学力が衰弱しては困る。ただ、学校という制度では、こうしたものをシステムとしてハード化したがる。ソフトな学力は、勝手にやってもらうしかないのに。だから、自由化」(森毅『学校自由化論』)。

 

Give me a F! F!

Give me a U! U!

Give me a C! C!

Give me a K! K!

Whats that spell? Fuck!

Whats that spell? Fuck!

Whats that spell? Fuck!

Whats that spell? Fuck!

Whats that spell? Fuck!

(Country Joe McDonald “Woodstock”)

 

森毅は、『過去は白紙』において、アカデミズムの変化について次のように述べている。

 

このごろ、論文業績を積んでいくペーパーアカデミズムが、こわれつつある徴候もある。まず、ふつうだとアカデミズムが権威ある雑誌を出して、そこで権威あるレフェリーがいて、そこへのせたことがその人の業績になる。ところがそんなことしていたら三年も四年もかかって、アホくさい。それで間にあわんわけ。実際プレプリントという原稿のコピーが個人的なネットワークを通じて世界じゅうに出回る。それがさらにコンピューターネットワークにどんどん流れる。それからオーラルな部分でけっこう流れる。電話とか、それからシンポジウムなんかで人が行き来することによって。人間がオリジナルで、論文はハードコピー。ペーパーアカデミズムの世界に、シンポジウムアカデミズムが入りこんでいる。

最近あったおもしろい話は、アメリカの若いやつで、数学基礎論の分野で賞をもらったんだけど、実は論文を出していないというのね。もう評判になって、あっちこっちのシンポジウムで引っぱりだこで、賞をもらっちゃったけど、まだ論文を書いていないという。

 

これからのアカデミズムは、著作を著さなかったソクラテスが饗宴で哲学を語っていたように、シンポジウムの姿をとるようになるとすれば、それはニュー・アカデミズムが実践していたことである。ニュー・アカデミズムは、大学や国家と結びつく前のアカデミズム、サロン・アカデミズムを復権させる。アカデミーは内部と外部、中心と周辺の区別によって成立しているが、それを決定不能に追いこむ。境界は地平線になる。ニュー・アカデミズムはそのようにしてすべてをアカデミーの対象にし、固定されたアカデミズムを浪費する。

 シンポジウムはおしゃべり、情報の交換に意義がある。おしゃべりは、今では、掲示板・Eメール・チャットなどによって、偶然に、未知の人物と国境を超えてすることが可能になっている。おしゃべりがネット社会の最大の貢献である。「I LOVE YOU.vbs」の製作者として知られるオネル・デグスマンは、「技術は全部インターネットで学んで、ネット仲間とのチャットで磨いた。学校で教わった知識なんて10%だけだ」と言っている。彼はフィリピンのコンピューター単科大学の学生だったが、「パスワードの盗用方法」という卒論を書いたために、卒業できなくなり、あのウィルスのプログラムに「学校に行くのは大嫌い」と書いている。二〇〇〇年五月、わずか二日間で、四五〇〇万台のコンピューターに感染している。グローバル・ヴィレッジのおしゃべりは熱力学第二法則と初期値敏感性を世界に知らしめる。

サイバー・スペースはペーパーの権威を時代遅れにし、シンポジウム・アカデミズムに適している。ペーパーは、アカデミズム自身の保存として機能し、結果のみ公開する。他方、シンポジウムは過程も公開する。ペーパー・アカデミズムがテキストだとすると、シンポジウム・アカデミズムは、おしゃべりの過程で話題が飛ぶことがあるように、ハイパーテキストであろう。

モダニズムの時代に、最も影響力があった哲学者としてマルティン・ハイデガーが上げられる。彼はおしゃべりが蔓延し、大衆化していく社会を厳しく批判している。ハイデガーの『存在と時間』によると、人間存在はたんなる「主体」ではなく、「他者と共なる存在」であり、「世人であること」は「本来的」な存在から「頽落」していることを意味する。「人間存在の本質」は「現」の本質、すなわち「情状性」・「了解」・「語り」の三つの契機によって取り出される。ハイデガーは「平均的日常」における人間存在はすでに「頽落」していると主張する。「頽落」には「空談」・「好奇心」・「曖昧性」の三つの性格がある。人間存在は他者と語り合う。「語り」において、人間の実存は他者に向って「開放」されている。ところが、日常的には、「語り」を持たない。「空談」は「語り」が本来的ではなく、頽落形態である。「空談」はおしゃべり、井戸端会議である。同様に、「好奇心」は「了解」にともなう「視」の頽落形態である。「了解」は「情状性」を受けとることであり、それを出発点として、人間存在は「視」にある状態から「ありうる」へ「めがける」、「企投」する。ところが、「平均的日常」では、目新しく、面白いことへの「好奇心」にかられ、「空談」に明け暮れている。「好奇心」は野次馬根性である。「曖昧性」は「了解」の頽落形態である。何か社会的事件や出来事が起きると、原因を追求する。誰もがそれについて問題を感じられる。しかし、それは思い込みにすぎない。実存に固有の「ありうる」へとめがけていないからだ。

しかし、ハイデガーの「平均的日常」批判こそが「曖昧性」である。と言うのも、誰もがそう論じられるからである。彼は「本来性」=「非本来性」の二項対立を導入し、現代社会は非本来的な状態にあると憂う。ハイデガーの哲学は、この社会は悪の状態にあるから、浄化しなければならない。というナチズムや原理主義的思想につながりかねない。「ひところ言われた表現では、目的合理性(俗)でも価値合理性(聖)でもなく、それは無償性(遊び)に属する。なんの目的もなく、つい持ってしまうから知的好奇心なのだ。持てと言われようと、持つなと言われようと、ともかく知的好奇心を持つのは、その人の本性による。そして、その人の個性によってさまざまなタイプがある」(森毅『知的好奇心は人生のいろどり』)。

イマニエル・カントにとって、道徳は哲学的願望であり、ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルにとって、人間が社会的存在であることは自明である。ハイデガーは、人間が社会的存在であることが怪しくなっている時代において、超越性に頼らず、生を価値付けられる道徳を模索するが、「平均的日常」から出発しない。哲学のギリシア性と森の生活というゲルマン的なるものへの回帰を夢見た彼は、そのため、グレコ=ローマン的なるものをゲルマンに奇妙に結びつけたナチズムに傾倒していったのである。

けれども、ハイデガーを克服するために、「頽落」の突き詰め、すなわちニヒリズムの極限を提案することはできない。ポストモダンにおいて、人間は「頽落」しきれない。極限は、数列や級数が示している通り、仮想的に想定できる。ルネ・デカルトは、方法的懐疑、すなわち懐疑の極限によって、コギトを見出している。極限は近代的方法であり、極限概念の発見によって、微積分を含めた解析学は飛躍的に発展する。デカルトが解析学の創始者であるのはこの極限の発見による。だとするなら、ポストモダンが極限化することはありえない。「平均的日常」に見られる現象のほとんどは非線形に属している。こういった現象に対して極限化は有効ではない。別の態度が必要となる。

シンポジウム・アカデミズムは「頽落」をユーモアラスに尊重する。シンポジウムは真理を追究しない。「平均的日常」では、問題解決として、真理ではなく、間主観の方が重要だからだ。森毅がニュー・アカデミズムを「六本木と本郷のクロスオーバー」と呼んだ通り、「平均的日常」から出発する。ニュー・アカデミズムはおしゃべりを肯定する。ポストモダンにおける倫理である共生の基盤をおしゃべりに見出したのだ。

こうしたおしゃべりのポストモダンは、坂本龍一と高橋悠治が一九八四年に魅力的な『長電話』を刊行しているように、電話的=双方向会話的世界と見なせよう。携帯電話はポストモダン的風景には欠かせない。電話に人々はおしゃべりの道具としての可能性を見出している。電話は一八七〇年代に新たなビジネス・チャンスと捉えられるようになる。電話会社は、当初、電話がニューヨークなど大都市から広まっていくだろうと予想し、農村部を後回しにして、マーケッティング戦略を立てている。ところが、電話が最初に普及したのは、彼らが想定していなかった中西部の農村部である。家と家の間が遠く、地域のコミュニティを無ズ美つけられる電話が情報交換には便利だったからである。電話に先行して普及していたのは電信であり、電信は、株価やアポなど必要最低限の情報のやりとりに使われている。電信の延長と見られていた電話はまだ雑音が多く、電信と違い、情報を記録できない理由から敬遠される。地方では、そんなことは考えず、電話でおしゃべりを楽しんでいる。一八八〇年代になって、欧米の大都市で電話が知られるようになるが、それは有線放送としてである。電話会社は契約者に、現在のインターネット・ライブのように、市内の劇場公演や教会のミサを中継している。さらに、電信の配達人は男性であったのに対し、電話の交換手は女性が採用される。最初は男性が使われていたが、飽きっぽく、言葉遣いが乱暴で、不向きだったのである。女性たちはたんに電話の交換をしているだけでなく、聞かれれば、地域の出来事から選挙の結果に至るまでさまざまな情報も提供している。機転のきく交換手とのおしゃべりもその頃の電話の魅力である。後に、プライバシーの考え強まり、彼女たちの声や応対は規格化される。それが確立していく中、ビジネスとして以上に、距離を超えた友人や家族とのおしゃべりの道具として電話が定着していく。アメリカの電話会社も、大衆文化が開花するローリング・トゥエンティーズの一九二〇年代に入り、広告戦略を変更する。おしゃべりに電話ビジネスの将来性を変更したのである。これは現在の携帯電話をめぐる状況にまでつながっている。

電話は、母親と妻が聴覚障害者であり、聾学校の教師でもあったアレキサンダー・グラハム・ベルや聴覚が弱かったトーマス・エジソンによって、聴覚を補う道具として開発されている。電話はバリアフリーとして誕生したのである。現在の携帯電話はメールやバイブレーション機能、写真撮影が装備され、障害者や高齢者を健常者とつないでいる。また、GPS装備の携帯電話は、一九九九年、線上からモールス信号を駆逐し、インマルサット端末の衛星電話を通じて、ジャーナリストたちは、二〇〇二年以降、アフガニスタンやイラクから記事や写真、動画を世界中のメディア各社に送信している。その上、携帯端末はユビキタス・コミュニケーターのプロト・タイプとして考えられている。これからは、さらにその方向に進んでいくだろう。電話はポストモダニズム的理想を追求している。

ポストモダンにおいて人々が直面するのは、東浩紀が言っている「郵便的不安」、すなわちコミュニケーションの断絶と誤配ではない。電話社会で、間違い電話は不安にならない。人々を悩ませるのは「電話的不安」、一方的なコミュニケーションである。それは無言や卑猥な内容を含む嫌がらせの電話、他人のコンピューターへの不正アクセス、ジャンク・メールやウィルス、ワーム、スパム、スパイウェア、そして盗聴である。ウォーターゲートでの盗聴の発覚はリチャード・ニクソン大統領を辞任に追いこんだが、今では、エシュロンによって世界中の電波通信が盗聴されている。その盗聴もさらに盗聴されている可能性さえ否定できない。フランシス・フォード・コッポラ監督は、一九七三年に、『カンバセーション…盗聴…(The Conversation)』で、ジーン・ハックマン演じるハリー・コール(Harry Caul)という盗聴屋が自分自身も誰かに盗聴されているのではないかと不安に陥っている姿をすでに描いている。”Bit Brother is Watching You!”

 

Small talk

Small talk

 

Small talk, ooh we're tired of prophecying

We heard the word was good but it's stupefying

Small talk, get up and do some death defying

Small talk

 

I heard a whisper

That careless talk costs more than you bargained for

In seventh heaven

If a thing's worth doing, it's worth doing badly baby

 

Small talk

 

Small talk, oh, baby it's so inconsequential

Everybody heard enough about your big potential

Small talk, oh, no information give

Small talk

 

I heard a whisper

That careless talk costs more than you bargained for

In seventh heaven

If a thing's worth doing, it's worth doing badly baby

 

(ba-ba-ba...)

 

I heard a whisper

That careless talk costs more than you bargained for

In seventh heaven

If a thing's worth doing, it's worth doing badly baby

 

Small talk, oh, you're such a little socialite

We heard your chit-chat, now you get it up and get it right

Small talk, oh, show us what you're made of baby

Small talk

 

I heard a whisper

That careless talk costs more than you bargained for

In seventh heaven

If a thing's worth doing, it's worth doing badly baby

 

I heard a whisper

That careless talk costs more than you bargained for

In seventh heaven

If a thing's worth doing, it's worth doing badly baby

 

I heard a whisper

That careless talk costs more than you bargained for

In seventh heaven

If a thing's worth doing, it's worth doing badly baby

(Scritti PolittiSmall Talk”)

 

 浅田彰はこうした電話性を実践している。それはシンポジウムの司会者として能力を発揮していることからも明らかであろう。司会者は問題を要約し、質問を繰り返す。けれども、アンリ・ポアンカレ流の答えることではなく、問いを発し続けることが重要だというわけではない。彼はアルゴリズムを編み出す。マクルーハンの『メディアの理解』によると、クールなメディアを代表するテレビにおいて、視聴者は固定されたイメージを受け取るのではなく、固定しやすいイメージを期待する。それはルックスに限定されない。おしゃべりや対話の能力も含まれる。「テレビはプロセスの相互作用やあらゆる種類の形式発展を他のメディアでは表現不可能なやり方で開示できる」。浅田彰はこうした哲学を具体化させている。メディアを通じて、人々は情報を入手するが、決定に際しては、メディアの影響以上に、家族や友人、周囲、ネットを通じた情報交換、おしゃべりが最も重要となっている。「人間はたいてい、内容より印象で受けいれるものだ。学会の講演ですら。ましてテレビともなると、人はたいてい、日常のなにかをしながら、ブラウン管を眺めている。語りかけられる内容に神経を集中していることもない。それだけにかえって、対人関係の防衛から無防備になってもいる。それで直接に、その印象が伝わっていく。()考えてみれば、これだけ多くの人間のネットワークのなかにあって、たいていは印象によって人のイメージが作られている。電波のネットワークのなかで、たまたまブラウン管に映像が現れているように。それはすぐに消えて別の映像になるかもしれぬが、時間を共有しながら印象を残していく。人間の関係というのは、そうしたものなのだ」(森毅『ブラウン管から』)。日本のポストモダン文学は同世代に限定された派閥を形成しない。中森明夫は浅田彰を「謀略公家」と呼んでいるが、彼ら以降、そうしたグループをつくることはできない。ネットワークを拡充するだけだ。合衆国におけるABCCBSNBCは、放送局ではなく、ネットワーク事業を運営している企業である。ネットワーク事業者が全米に点在する放送局を持っているのであって、アメリカではネットワークが先にある。一方、日本の場合、東京に本社を置く大手の民間放送局が地方の各放送局とネットワークを提携している。ニュー・アカデミズムはそういった日本のネットワークの様相を変換する。思想のネットワーク事業者である。一九八五年に坂本龍一と村上龍の鼎談集『EV. Cafe』は、女性との鼎談がない点があるものの、それを具現した日本のポストモダニズムにおける最高傑作である。シンポジウムにおいては、発言する資格を問われない。司会者は議論を完全にまとめあげることなく、ゆとりを持たせなければならない。妥協は点ではない。「議長で会議を仕切ったこともあるが、なにかの結論へ向けてまとめようと無理するのが、一番よくない。リーダーシップなんていらない。そのかわり、まとまった結論というのは、当面の指針になっても、それだけが正しいわけではない。もともとが、いくつかのルートがあって、そのどれもがいくらかは正しいからこそ議論になっているのであって、結論が出たから急に、正しいのはそれ一つということになるはずはない。今後のことを考えれば、まとまった結論で正しいと安心するより、しりぞけられた意見のほうが役に立つ」(森毅『うっとおしいけど楽しい』)

ニュー・アカデミズムのおしゃべりという倫理は、後の世代には、必ずしも受け継がれていない。それどころか、彼らは開かれたおしゃべりを重要とは考えていない。

九・一一以前、東浩紀を筆頭に、オタク文化がポストモダンであるという意見が唱えられているが、オタクはポストモダンを代表してはいない。なるほどオタク文化は決してマイナーというわけではなく、無視できないほどの産業規模を持っている。また、マニアックな知識や姿勢は、『なんとなく、クリスタル』が示しているように、ポストモダン文学の重要な要素である。彼の註は部外者への説明のためにつけられている。しかし、オタク文化には、モダニズム同様、デスコミュニケーションがある。それは母の過剰、強すぎる母の支配に起因する。モダニズムは父の不在がアイロニカルに生み出しているが、オタクは父の存在の決定不能性、すなわちいるのかいないのかわからない状況に対するアイロニーである。ユーモアを欠いた攻撃性がそこにはある。「今日の所帯においては、子供達は騒いだり、物を壊したり、喧嘩したり、勉強をいやがったり、そんなことばかりに熱心であるが、そのおなじ子供達を[累進セクト]または[集団系列]に入れてやった場合、うるさくいわないでも競って仕事に精を出すようになり、よろこんで耕作や製造、学問や芸術を学ぶようになる。()父親たちがこの新秩序を見たら、自分の子供達がセクトの中では感心だが、不統一所帯のなかでは憎らしいと知るであろう」(シャルル・フーリエ『四運動の理論』)。ポストモダン文学は、田中康夫が少子高齢化を前提に作品を展開したように、母の過剰へのユーモアがある。ポストモダン的状況は意識的に過去のものを復活させてきたが、オタクは意識されていないモダニズムである。

森毅は、『ぼけとモダニズム』において、「九〇年代と三〇年代とは、時代の変わりめという点で共通している」としながら、モダニズムを「ぼけ」であると次のように述べている。

 

時代の流れとしては、三〇年代から社会が規格化される方向に進んで、それが破綻して多様性を模索しているのが九〇年代。そして、三〇年代はモダニズムの時代だったが、今ではピカソもジョイスも社会風俗に溶け込んでしまって、なにやらべったりしているところが皮肉。

モダニズムでは、人間の意識の多様性を反映して、時間や空間が交錯し、名詞を持つ主体が変化した。()過去や未来の出来事が現在形で語られたり、ひとつの文章のなかで主語や場面が転回したり、会話と瞑想の境界がはっきりしなかったり。考えてみると、江戸浄瑠璃の文体もそれに似ていた。()

ところがテレビで「ぼけの前兆」という番組を見ていると、これがすべて当てはまる。モダニズムというのは、ぼけのことであったのか。名詞が、とくに固有名詞が少なくなって、代名詞が多くなる。話の途中で主語が変わったり、現実に起きたことと頭で考えたことが交錯し、時間や空間は平気でワープする。規格によって解釈が一義化できない分、イメージの多様性に豊かさがある。

 

ピカソやジョイスはポストモダニズムにとって極めて重要なアーキタイプである。彼らは、反逆を試みたがゆえに、伝統を熟知している。また、戦前に内務省の検閲が始まる前の日本製の輸出用時代劇映画は、高橋留美子のマンガに出てくるようなハチャメチャさで日本を描いている。クエンティン・タランティーノが見たら、泣いて喜ぶことだろう。ポストモダニズムはモダニズムのパロディであり、大衆化であるけれども、それが見失われている状態である以上、浅田彰はあえてモダンの導入を訴えている。それはポストモダンへの解毒、ポストモダン自身の相対化である。「精神をどれほど純化しても、バクテリアは防げない。()ゆえに、テレビに抗うには、活字などの関連するメディアを解毒剤として摂取しなくてはならない」(マクルーハン『メディアの理解』)

 

「打った!入った!同点!31!1点勝ち越し! 長島一茂がプロ入り二本目のホームラン!

(菅野”ミスター・ヴォルテージ”詩朗)

 

ポストモダンは階層化された差異を並列化し、それをクロスオーバーさせたにもかかわらず、オタクは流動化した差異を固定化させている。固定化された差異を細分化させ、それらは互いに干渉しない。オタクは既存のヒエラルキーの方向性を逆にし、ポストモダニズムが実践していた「共生」の倫理に欠けている。「世間とのかかわりから言えば、もう少しはオタクの自覚を持ってよい。世界を閉じていることを自覚しただけで、その世界が軽やかに見えてくるじゃないか」(森毅『オタクの世界』)。オタクのクロスオーバーがポストモダンでは求められる。オタクのクエンティン・タランティーノは蓄積してきたデータをクロスオーバーさせ、『キル・ビル(Kill Bill)(二〇〇三)という素晴らしいポストモダニズム作品を製作している。さらに、それに先立って、一九九四年にティム・バートンが監督した『エド・ウッド(Ed Wood)』はまさにオタク映画が傑作となりえている。「まさに近ごろの傑作である。生涯一作も当たらぬという監督と彼が主役に選んだ二流スタアのベラ・ルゴシのスケッチ。映画のすべてが二流ムード。一九九四年の新品映画がモノクロで一九五〇年代の二流スタイル画面で統一という念の入った面白さ。しかし映画は二流どころか、『シザーハンズ』『ギルバート・グレイプ』のジョニー・デップを主演に『シザーハンズ』のティム・バートン監督」(淀川長治『淀川長治の銀幕旅行』)。「エド・ウッド映画史上最低の映画監督である。『プラン9・フロム・アウタースペース』は史上最低の映画として万人の認めるところになっている。これは地球人に戦争を止めさせようとしてやってきた宇宙の支配者が、大統領と面会できなかったので墓場からゾンビを甦らせて地球を征服しようとする侵略SF映画である。理解不能なプロット、学芸会並の演技、ボール紙で作ったようなセット、間抜けなセリフ。すべての要素が揃ったおかげで、つまらなさを通り越してほとんど芸術のようにシュールな作品ができあがってしまった。誰にも真似られない唯一無二の−−傑作かどうかはともかく−−他に類を見ない映画なのである。彼の生涯はティム・バートンの手によって『エド・ウッド』として映画化されている。しかしこの映画は真実の半分しか伝えていない。映画は『プラン9』完成とともに終わるのだが、その後のエド・ウッドの人生は悲惨の一語に尽きた。作った映画は売れず、さらにはまともに金を集めることもできなくなり、ポルノ小説を書き飛ばして糊口をしのぎ、友人のポルノ映画に脚本を書き、それでも食っていくのがやっとだった。やがてアルコールに溺れ、家賃も払えなくなって極貧の中で死ぬ。晩年の彼はひどく陰気になり、苦々しくこぼすことが多かったという」(柳下毅一郎『オレにやらせろ』)。

 

Ed Wood: What happened?

Bela Lugosi: How dare that a------ bring up Karloff? You think it takes talent to play Frankenstein? It's all makeup and grunting!

Ed Wood: Bela, I agree 100%. Now, Dracula. That's a role that requires talent.

Bela Lugosi: Of course. Dracula requires presence. It's all in the eyes, in the voice, in the hands.

Ed Wood: That's right, that's right. You seem a little agitated. You want to go outside and get some air?

Bela Lugosi: Bulls---! I'm ready now. Roll the camera!

(Tim BurtonEd Wood”)

 

東浩紀がオタク文化としてあげているポストモダンの特徴はアニメーションの特性である。CGと実写で表現できる世界を自意識の優位性のためにアニメで描いているようなものだ。実写はカメラを用いるため、どこかに焦点を合わさなければならないのに対して、アニメはカメラの制約から解き放たれている。カメラはあくまでも「見えるもの」を映すにすぎない。フレームの外には別の世界あるいはその全体性がある。同一の画面の中で一本の木と一人の人間を描こうとした場合、実写では焦点の都合上、どちらかを主にせざるを得ないが、アニメにおいては、「スーパーフラット」であるため、両方を主にできる。アニメは、カメラの遠近法に縛られず、どこまでも平面的な視覚を提供する。ジョージ・ルーカスがロン・ハワードに「アニメーションは俳優が邪魔をしない」と言ったように、役者の演義という曖昧なものを排除し、世界を平面に分割して、時空間は自由に扱え、寓話的なリアルさを観客に訴える。「シュミラークルの全面化」(ジャン・ボードリヤール)であるアニメは、物語性が希薄であるなら、すべてが主役であり、同時に主役が不在の世界を描ける。実写はどんなに平面的たらんとしても、カメラの遠近法が作用しているため、観客に立体性・実存性を思い起こさせてしまう。ところが、物語性を強くしようとすると、その遠近法の欠落さにより、その展開をセリフに依存せざるをえない。ウォルト・ディズニーのアニメでキャラクターがセリフを喋らせたように、何かを主にするため、セリフがその記号の機能を果たす。「なにもかもが『見えるもの』から『わかるもの』になってしまったのです」(小栗康平『映画を見る眼』)。東が強調するキャラクターへの偏愛はここから生まれたにすぎない。キャラクターとセリフへの傾倒はアニメをラジオ・ドラマとしてそのまま使えるようにさせてしまう。この背景の下、声優が脚光を浴びる。それでいて、大部分の日本のアニメは映像的には極めて保守的であり、アニメで描写する必要性は皆無になってしまい、自己完結性だけが強まっている。「カメラが入るポジション、見せ方は、オーソドックスで、落ち着きのいい実写のそれとなんら変わっていません。実写の映画のセオリーをそのまま引き継いでいます。動植物が人間の言葉を喋ることで人間化しているとしたら、どんなお化けであろうが、これは人間ドラマです。さまざまに工夫された絵柄によって、ファンタジーであることから目を覚まさせない、人間のセリフ劇です」(『映画を見る眼』)。アニメ的映像を賞賛するなら、アニメが盛んな「日本的スノビズム」(アレクサンドル・コジューヴ)を評価するのは必然的である。けれども、ポストモダン的「スーパーフラット」をアニメーションに求めて、マイナー志向のために、特定のキャラクターに焦点をあわせるとしたら、それは背理であろう。

オタクの持つマイナー=マージナル志向とメジャー=センターの忌避にとどまることなく、フラクタルに向かうクロスオーバー、オタク文化のパロディがポストモダンに値する。「二十歳前後の浅田というのは、本人が言っていましたが、オールラウンド・オタクみたいなところがありました。映画を話すときは映画オタクと話をし、文学のことになると文学オタクと話をし、思想の話をするときには哲学オタクと話をする。そして彼は、みんなそれぞれに専門化していて気に入らないと言っていました。そういう意味では、彼は原理的にクロスオーバーです。それにしては、この頃はちょっとカッコつける面が出ているようです。これから彼がどうなるかは別です。()浅田は二十代のときは若さが愛嬌だったけれど、もう三十代も後半ですし、ちょっとシンドイでしょう。やはり四十代をどういう芸風でやるかというのが彼の課題です」(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)

 

How come you're always such a fussy young man

Don't want no Cap'n Crunch, don't want no Raisin Bran

Well don't you know that other kids are starvin' in Japan

So eat it, just eat it

 

Don't want to argue, I don't want to debate

Don't want to hear about what kinds of foods you hate

You won't get no dessert 'till you clean off you're plate

So eat it

 

Don't you tell me you're full

Just eat it... eat it

Get yourself an egg and beat it

 

Have some more chicken

Have some more pie

It doesn't matter

If it's boiled or fried

 

Just eat it, just eat it

Just eat it, just eat it... Woo!

 

Your table manners are a crying shame

You're playing with your food, this ain't some kind of game

Now, if you starve to death

You'll just have yourself to blame

So eat it. Just eat it.

 

You better listen, better do as you're told

You haven't even touched your tuna casserole

You better chow down, or it's gonna get cold

So eat it. 

 

I don't care if you're full

Just eat it... eat it

Open up your mouth and feed it

 

Have some more yogurt

Have some more Spam

It doesn't matter if it's fresh or canned

Just eat it! Eat it! Eat it! Eat it!

Don't you make me repeat it!

 

Have a banana, have a whole bunch

It doesn't matter what you had for lunch

 

Just eat it! Eat it!

Eat it! Eat it!

Eat it!  Eat it!

If it's too cold, reheat it

 

Have a big dinner.  Have a light snack

If you don't like it, you can't send it back

 

Just eat it!  Eat it!

Get yourself an egg and beat it!

 

Have some more chicken.  Have some more pie

It doesn't matter if it's boiled or fried

 

Just eat it!  Eat it!

Don't you make me repeat it!

("Weird Al" YankovicEat It”)

 

消費、すなわち欲望の刺激は個人的だけでなく、社会的・時代的な背景によっても形成される。それがモードを生み出す。モダニズムはまさにモードとして登場している。消費優先はモードを招く。流行から逃れることはいかなるものもできない。流行は、景気同様、循環する。モードの循環は、今では、臨界状態に達し、決定不能性に至っている。決定的なものは何もなない。売られている物はなくてもいいけれど、あってもいい程度にすぎない。一九八〇年代、糸井重里が西武百貨店のために考案してコピーの変遷がそれを物語っている。一九八一年が「不思議、大好き。」、翌年は「おいしい生活。」だったのが、一九八八年になると、ファッション狂騒曲として「ほしいものが、ほしいわ」になっている。物があふれているのに、欲しいものは何もないという逆説に到達している。欲望は、そのとき、デフレに陥る。欲望のデフレ、すなわち欲望へのユーモアがポストモダン的状況であり、完全に植物化する。広告は、この環境において、商品の宣伝ではなく、新たな生活の提案を主眼にしている。

森毅は、『ややこしさのモラルのために』において、こうしたポストモダンの政治・経済は、シャルル・フーリエの著作を読めば、理解できると次のように述べている。

 

もう三十年も昔に読んだ、フーリエの情念論のことが、このごろ気になっている。そのころはよくわからなかったが、情念の解放を言っているようでじつは抑圧している、時代の空気を考えるヒントになりそうに思う。

価値観がイデオロギーの形で幻想化すると、それは情念を抑圧する。とくに、その価値観の実質が空洞化していると、それが幻想の形で抑圧性が増える。

フーリエの言っているのは、ありふれた欲望ではない。その上に三つの情念を設定するのが、昔はよくわからなかったのだが、自分流にこの時代を解釈するのに向いている。時代が違うが、今に読みかえられるのが、古典というもののよさ。

 

欲望から政治・経済を考えると、「時代の空気」を掴み損ねる。ポストモダンにおいて、消費を生み出すのはフーリエの三つの情念、すなわち「心がわりの情念」・「裏ぎりの情念」・「ややこしさの情念」である。「道をきめずに『心がわり』をして、ときにまわりの思いを『裏ぎり』ながら、それでもおたがい、楽しく生きるための『ややこしさ』。これが、この時代に適合したモラルのような気がしている。道が決まらず、思ったとおりに進まず、ややこしいけれど」。このモラルの下、家のリフォームが流行し、ユニヴァーザル・デザインが提唱され、建築家ではなく、使う人の視点が最優先される。すべてが等価であるとすれば、欲望は刺激されない。高度消費社会は欲望ではなく、三つの情念に基づいている。「ほしいものが、ほしいわ」が示す多品種少量生産がモードを満足させる。「ここには、大きな流れとして、産業社会から情報社会への移行がある。今だって、物を作るのが主流だろうが、付加価値部分が大きくなって、規格品大量生産よりコンセプトが多様化して、デザインなどのウェートが増えてきている。本来の情報産業は、そうした変化の最先端を示しているとも考えられる。つまり、システム的なものに、ネットワーク的なものを加味しようとしているのではないか」(森毅『社会主義から社交主義へ』)。その結果、アクセサリーのような小さな自己表現が主流になり、世界はより複雑系を体現する。

『「J回帰」の行方』の中で「二〇〇〇年になって振り返ってみると、一九九〇年代の日本文化を『J回帰』という言葉で括り、特徴付けられるのではないかと思う。JJAPANJである」と浅田彰が言う九〇年代に登場した文学はベーシックな文学へと向かっている。先人を踏襲しつつ、再構築するというポストモダン文学の手法を生かして、オルタナティブな志向を示す作品もあるが、高価で奇抜なコム・デ・ギャルソンに代わり安く何の変哲もないユニクロが時代を代表するように、多くは方法論で行きづまり、不十分な引用が目立ち、ゴシップ化したり、かつてのカテゴリーではサブカルチャーに属していた領域をとりこんだり、クラシックと化した日本近代文学を切り詰めて融合したりしている。「ニューアカの後どんどん若い世代が出てくるかと思ったら、案外出てこないんです。若い子はああいう出方を真似しようとするけれども、もう一つパッと出てこない。もっとも真似をして出られるものでもないですけれども。ある意味で、彼らが出てきたということが、次の世代の抑圧になっていないかということをいくらか気にする人もいます。たしかに、そういうことはあり得るわけです。だけど、これはしょうがないんです。それこそ小説の世界でも、美術の世界でも、ある層というのは固まって出ます。ところが、その後を追ったってやっぱりしょうがないんです。ある一つの流れが出てくると、次の世代の抑圧になるものなんです」(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)。それには、オルタナティブの意識を強く持つほかない。

 

I took her back to her room

Gonna get back to the basics for you, oh yeah

You gotta conscience, a compassion

Got a way with the word

You got a heart full of complacency too

(But it's not like that)

I don't have a purpose or mission

I'm empty by definition

I got a lack girl that you'd love to be

(Up until the day)

 

You want a diva, a deduction

You wanna do what they do

You wanna do a damage that you can undo

(Up until the day)

 

Apart from everyone

Away from your life

A part of me belongs

Apart from all of the hurt above

 

I got a perfect way to make a new proposition

I got a perfect way to make a justification

I got a perfect way to make a certain a maybe

I got a perfect way to make the girls go crazy

 

I took a day job, amendment

I took a liking to you

I took a page out of my rulebook for you

You want a message, a confession

You wanna martyr me too

You want a margin of error for two

(But it's not like that)

Maybe tomorrow, the next letter

Or when the weather gets better

I gotta wait here for your moon to turn blue

I made an offer, an exception

I made a sense out of you

You took a good look at your book and I knew

(Up until the day)

 

In times of tenderness, and tears baby so true

Until such time as I can understand the things you do

 

Want to forgive you for the things that you do

Wanna forget how to remember with you

Maybe tomorrow, the next letter

Or when the weather gets better

I gotta wait here for your moon to turn blue

 

Apart from everyone

Away from your life

A part of me belongs

Apart from all of the hurt above

 

I got a perfect way to make a new proposition

I got a perfect way to make a justification

 (Scritti PolittiPrefect Way”)

 

九〇年代に始まった世界的な状況は、インターネットの普及に伴い、誰もがそこにアクセスして、情報を検索し、獲得することができるようになっている。こうしたポストモダンの下、引用の対象も拡大する。表層的なものにとどまらず、その社会的・歴史的・文化的背景も引用し、クロスオーバーさせることが作品作成に求められるようになる。表層的なものの引用に終始し、たんに戯れるのは後退である。それを試みるのであれば、タランティーノやバートンのように、そこに敬意をこめ、愉快にしなければならない。オタク文化には二八歳の女性とのおしゃべりが欠けている。以前にも増して、おしゃべりをする範囲を広げる必要がある。「道が決まらず、思ったとおりに進まず、ややこしいけれど」。

『世界がもし100人の村だったら』が示しているように、今や個人ではなく、集団的匿名として作品を作成しなければならない。マクルーハンの警告通り、グローバリズムとローカリズムのクロスオーバーが九〇年代はアンバランスだったが、二〇〇〇年代には、その共生も模索されるだろう。「道が決まらず、思ったとおりに進まず、ややこしいけれど」。ポストモダン下では、老若男女、国籍、宗教、立場、居住地、ジェンダー、セクシャリティ、障害、病気は問われない。九・一一以降、その倫理が求められている。誰からともなく始まり、在日コリアンのパンク・ミュージシャンとベイルートのアルメニア人小学生少女、メキシコ在住の老バスク人マルクス主義者、コンゴで人道援助の活動をするレスビアンのスコットランド人、バンコクのクラブで働くナイジェリア出身のニュー・ハーフ、ケープタウンの知的障害者、イヌイットの生物学専攻の大学院生、マレーシアのエコロジスト、スーダンの反政府ゲリラ、トロントに移り住んだパルーシーの女性経済学者、チューリッヒの金庫破り、パキスタンのベテランのホッケー選手、マウマウの娘、パームビーチに引退した民主党の元上院議員、ブタペストに運送中のトルコ人のトラック運転手、ウズベキスタンの映画監督、ロシア移民でエルサレムに住むゲイのコンピューター・プログラマー、タロイモ栽培に従事するトンガの農民、アイスランドのDJ、ニューヨークのチベット人僧侶、チリのイタリア系女性弁護士、メルボルンの筋萎縮性側索硬化症の患者、マサイステップのマサイキリン、西表島のガジュマル、DNAコンピューターとが共同で刺激的なおしゃべりの作品が形成される。Eメールや携帯電話で連絡を取り合ってできた作品は、さまざまな社会的・歴史的・文化的・個人的背景によって構成され、多種多様な言語が入り混じり、CGや動画が盛りこまれ、世界中で手にすることができる。さらに、参加者が増えて、文化触変が続き、変化を重ね、拡散していく。それが植物化するポストモダンの生成である。

 しかし、九〇年代以降の世界を「ポストモダン」の名称で把握することには無理がある。それぞれの分野・領域が相互浸透している。決定不能性はより進み、クロスオーバーでさえない。フェリックス・ガタリはカオスとコスモス、浸透の三つの意味を組み合わせた「カオスモーズ(Chaosmos)」を提唱している。多元主義あるいは多文化主義という思考さえこのカオスモーズにさらされている。ポストモダンはベルリンの壁に代表される壁の時代における相対主義的な動向であるが、九〇年代から膜の時代へ突入している。壁は消え、半透膜が世界各地にはりめぐらされている。あるものは通し、別のものは通過させず、そこに浸透圧が生じる。現代社会はこのように開かれている。ポストモダンに代わって、むしろ、ガタリに倣い、「カオスモダン(Chaosmodern)」を使うべきだろう。「情報化社会というのは、過去の情報がどんどんデータベースに蓄積されていくんだけど、その結果、逆説的なことには、現在の輝きだけで評価されるようになる。もう、過去のことなんて、どうだっていいんですよ」(森毅『過去は白紙』)

 

“I know who I am. No one else knows who I am. Does it change the fact of who I am what anyone says about it? If I was a giraffe, and someone said I was a snake, I'd think, no, actually I'm a giraffe”.

(Richard GereThe Guardian” June. 2002)

〈了〉

 

プレモダン

モダン

ポストモダン

神の権威

神の死

神の死の決定不能性

アルブル(ツリー)/ラディセル

クラインの壺

リゾーム

計画/放任

ギャンブル

遊戯

人間

動物

植物

存在

運動

現象

デカルト/カント

パスカル/キルケゴール

ニーチェ/フッサール

ワーグナー/ヘーゲル

シェーンベルク/アドルノ

ジョン・ケージ/マクルーハン

不換紙幣

クレジット

ルソー/モンテスキュー

ジョン・ロー

シャルル・フーリエ

ハイエク/レーニン

ケインズ

モーツアルト/ルノアール

カザルス/ピカソ

グールド/ウォーホル

マジメ/シリアス

イロニー

ユーモア/ポップ

ラクダ

ライオン

幼な子

決定論

確率論

決定論的非周期性

トータリティ

インフィニティ

アトラクター

リアル

イマジナル

ヴァーチャル

ヒエラルキー

アナーキー

カオス

主人と奴隷

インディペンデント

パラサイト

権威主義

ニヒリズム

商業主義

定住

競争

逃走

メジャー/セントラル

マイナー/マージナル

フラクタル

固体

気体

液体

雑誌

インターネット

ドメスティック

ワイルド

イージー

ウェット

ドライ

ドラスティック

答え

問い

アルゴリズム

高精細度のメディア

低精細度のメディア

ホット

クール

郵便/ラジオ

電話

活字

話し言葉

写真

マンガ

映画

テレビ

講演

セミナー

システム

ネットワーク

エネルギー

エントロピー

ペーパー

シンポジウム」

ハード

ソフト

Visible

Invisible

内部/外部

地平線

/

ゆらぎ

線形

非線形

平衡

非平衡

主観/客観

間主観

自己/他者

集団的匿名

微積分

複雑系

弁証法/二律背反

永遠回帰

生産/蓄積

流通/消費

シンタックス

モザイク

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